Atelierラ部

ラーメン業界での、デザイン、イラストレーションなどに関するブログです。

2019年12月

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携帯サイト「超らーめんナビ」達人イラスト(ラーメン評論家似顔絵)/2008年5月


携帯電話=ガラケーだった頃、「超らーめんナビ(通称:らーナビ)」という携帯サイトがありました。まだラーメン情報もガイドブック中心の時代ですから、非常に画期的。利用されていたラーメン好きの方も多いことでしょう。そのサイトで、ラーメン評論家の方々が「達人」としてコラムを連載されていました。ラーメンデータバンクが発行していたミニ雑誌「月刊とらさん」には、その「らーナビ」のコーナーがあり、そこで使う達人のアバターとして、似顔絵を制作したのです(つまり「らーナビ用」ではありません)。

上段左から、大崎裕史さん、武内伸さん、石神秀幸さん、北島秀一さん、一柳雅彦さん、下段左から、山本剛志さん、佐々木晶さん、小林孝充さん、はんつ遠藤さん、河田剛さん。〈注〉本来、石神さんはいなかったのですが、キャラ作りの一環として試作しました。他の方々の個性を、より際立った形で制作するためです。しかしその後、石神さんもらーナビ達人になられたとのこと。また一柳さんはらーナビ達人はされていませんでしたが、誌面上必要があったため制作しました。


どの評論家さんもテレビや雑誌でよく目にしていましたし、それなりに評論家としてのスタンス、傾向もわかっていましたから、写真を見て描くだけとは違って、充分にキャラクターを反映させることができました。

ありがたいことに、何人かの方はその後もSNSのアバターに使ってくださった。「しうさん」の愛称で親しまれた北島秀一さんも、2014年9月に亡くなるまで、ずっと使い続けてくれたのです。亡くなる1年ちょっと前、Facebookにこんな言葉を遺してくださっています。

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FBをやっていると「友達の友達とかで、よくあちこちでコメントとかは見ているけど会うのは初めて」と言う方が大勢いる。当然私もそうやって見られる機会もしばしばあって、お互い「あ、お名前はかねがね」となる。

そんな時、八割以上の確率で言われるのが「イラスト通りですね」【笑】。青木画伯によるこの似顔絵、ホントに認識率が高い。FBではリアル写真を推奨しているようだけど、実際写真って結構すぐに実物とは変わって来てしまうもんなんだよなあ。

イラストは特徴を捉えてデフォルメしてるから、多少太ったり痩せたり年をとったくらいじゃ特徴がずれないんだろうな。いやあほんとに助かっております【笑】。(北島秀一さん/2013年6月30日)


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警察にはモンタージュという技術があり、今ではCGも発達しています。それでも似顔絵はなくなりません。写真というのは存外、イメージを固定・限定してしまいます。少しでも違う点があると対象から除外されてしまう。似顔絵のいい意味での曖昧さが、幅広く印象を捉えるわけです。

また、わたしが子供の頃の特撮作品は、今観れば作りものめいた部分もあったわけですが、視聴者が無意識のうちにアラを補完しながら視ていたそうです。しかし現代の全編3DCGの作品などは、逆に無意識でアラ探しをしてしまうのだとか。人間の心理というのは面白いものですね。


似顔絵で大事なのは、顔貌を似せるというよりも「印象」を似せること。北島さんはよく笑顔を見せる人でもあったのですが、なによりラーメン界きっての知性派・理論派。取材内容を澱みなく伝えようとする人でした。ラーメン評論の中で読者を笑わせたり、煽ったりもせず、大袈裟・過剰な表現も控えていた。その姿勢をこそ表したかったので、自然といかめしい表情になっていたのです。

北島さんの感想は、まさしく「似顔絵」というものを芯で捉えています。北島さんがそのように理解してくださっているとは、感激の至りでした。願わくはもっともっと長く、修正が必要になるくらいまで使い続けていただきたかったです。

亡くなられて数年後、北島さんのお友達にお声掛けいただき、お墓参りに行きました。その方から、北島さんがこの似顔絵の自慢をされていたこと、「青木さんからデザインの話を色々聞いてみたい」と仰っていたことを伺ったのです。わたしこそ、もっと遠慮せずにお話すればよかったと悔やまれてなりませんでした。

「ラーメン 凪 立川店」暖簾、ユニフォーム/2008年4月


立川店のリニューアルに際し、ロゴデザインとともに作り直しました。立川ロゴの投稿にも書きましたが、「博多ラーメン 凪 レボリューション」のデザイン・コンセプトとして、赤と青のカラーリングを、赤=「太陽」、青=「海(波)」に見立てています。また、夜明け・日の出を「レボリューション(革命)」と重ねました。そのイメージを暖簾(店:静)と手拭い(ユニフォーム:動)で表したものです。

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【暖簾】

「波」の全体の雰囲気(片側)は、かの有名な葛飾北斎の富嶽三十六景「神奈川沖波裏」を、そのフォルムは美濃(岐阜県)の戦国大名・斎藤道三の家紋「二頭波紋」をイメージして制作しました。

その上に太陽に見立てたロゴを浮かせ、夜明けとともに日の丸も模しています。

元々のロゴの注文イメージが「アメリカの道路の番号標識」だったのに、なぜこうした和のイメージに振ったのかというと……「博多」を名前に出すわけですから、お客様に博多ラーメンの〝歴史〟を感じてほしかったのです。そのため暖簾も、

真っ新(まっさら)な白ではなく、古さを感じさせる生成りの布地を選定しました。


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【手拭い】

この手拭いもコンセプトに合わせていますが、頭に巻くと「凪」マークが額のところにきて、両側から波が押し寄せて見えるようにデザインしてあります。これは単に絵柄的なことでけではなく、頭に巻くとき「マークが中心にくるように」と意識してもらおうと考えたからです。無地だったり柄ものだったりすれば、ずれていても問題ありません。でも中心にマークがあると、少しずれているだけで格好悪い。きちんと合わせるなり鏡を見るなりして、働く前に意識を整えてもらえたら…という気持ちでした(店員さんたちには面倒だったかもしれませんが)。

また、逆向きに巻くと「豚」という文字に変わるという遊びを用意。「凪」と似たデザインで作成しています。店員さんに気分を変えて巻いてもらったり、それに気付いたお客さんに楽しんでもらうためです。

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今はなき「立川店」は、トータル的にデザインを行った初の店舗になりました。いかに時代・歴史を感じさせようと、「凪」らしい遊び心や元気なイメージから逸脱しては意味がありません。そうしたバランスがよくとれたものだったと思います。

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「株式会社 凪スピリッツ」オフィシャルサイト


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 「ラーメン 凪」丼デザイン/2008年2月


「凪」から新たな丼を作りたいと依頼を受け、2007年の7月頃に着手しました。いつ決定となったのかは定かではないくらい、たくさんの試作デザインが残っていますが、おそらく完成したのはこの時期(2008年2月頃)だと思われます。結局、正式にお披露目となったのはゴールデン街店オープン(2008年6月)くらいでした。


かつてラーメン店の丼は、既製品をそのまま使うか、せいぜい柄のない空きスペースに店名や電話番号を入れるというのが定番スタイル。その後、他店と差別化を図るには「あまり使われていない丼を探す」というのがポピュラーに。実際に90年代創業の店主さんの数人から、そういうお話を伺いました。さらに、ヒットした店を真似て他店が多く使いだし、その丼の生産量が上がる…なんてこともあったようです。2008年当時もオリジナル丼は出始めていましたが、まだまだ珍しかった。


そんな時代の、ゴールデン街・丼のお話。「なにか変わったもの、面白いもの」とだけ依頼されたのですが、丼はラーメンの印象を大きく左右します。それは単に見た目だけではないのです。人間は視覚情報の比重が大きいため、ルックスからの先入観は味覚、味の評価にまで影響を与えてしまいます。食事中ずっと視界に入るものですから、食欲を損ねるほど奇抜なものは避けなくてはなりません。どこかにロゴを入れるか……。ロゴの大きさ、位置、数などを変えてみても、スタイルそのものに新規性はない。どうせ暴れん坊の「凪」がやるのなら、他がやっていないようなデザインにしたい。


最終的に「凪のロゴマークそのものを丼にする」というアイデアを発想しました。シンプルすぎますよね。でも灯台下暗しというのか、コロンブスの卵というのか、こういう案がなかなか出てこなかった。元々このロゴの「◯」は、上から見た丼をイメージしていたのですから、意味的に合致します。どこにでもある「ロゴが入った丼」ではなく「ロゴになっている丼」なのです。スープが入ったときの見映えを考慮し、少しだけ大きめに入れこむことに。「凪」の煮干スープが引き締まって見えるよう、黒地を選択。赤ヴァージョンも作られました。


制作してくださったのは、福岡の「白雅堂」さん。有田焼の陶器などを製作する会社です。チップしにくい(欠けにくい)と評判で、都内でも多くのお店が使用しています。わたしも数多くお願いしていますが、このときが初めての注文でした。


白雅堂の代表・後藤さんに伺ったのですが、この「凪」丼、わかりやすくいうと「白い丼にシールをかぶせて焼く」といった感じで作られています。わたしは「真上から見たときにロゴと同じになるように」とだけオーダー。つまり元のシールはあらかじめ「丼の形状に歪ませて」作らなくてはならないわけです。職人技なのか、コンピュータで割り出すのかわかりませんが、その技術にとても感心してしまいました。赤はシール1枚で仕上がるのですが、黒は透けてしまうので、3度もかぶせているそうです。とても手間がかかった品なのですね。わたしも1つくらい記念に持っていたかった。今では望むべくもありませんが…。


けれどその後、想定外の喜びがありました。ラーメン好き必携の人気漫画「ラーメン大好き小泉さん」第2巻に(店名は伏せつつも)「凪」ゴールデン街店が登場しますが、そのカラーページに、この丼が描かれていたのです。横からのアングルでは、裏側にロゴがはみ出しているところまで描いてあります(表紙には現在使用中の丼や、店内の様子も)。あまりに嬉しかったので、2巻だけは保存用として1冊持っているくらいです。


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©鳴見なる/竹書房

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©鳴見なる/竹書房

また余談ですが、ゴールデン街店の箸は「竹箸」ですね。あれは当初、黒い塗り箸だったのを、わたしが進言して変えてもらいました。箸(箸業界・箸職人)というのは独自の美意識があって、それは素晴らしい思想・技術なのですが、わたしにはどうしても「ラーメンが食べやすい」とは思えないのです。その後はすべての店舗が竹箸に切り替わり、弟子である「ムタヒロ」をはじめ、あちこちに普及していきました。

「小泉さん」では、丼だけでなくその竹箸も克明に描き込んでおられます。いずれも、作者・鳴見なる先生のラーメン愛を感じる部分です。


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「株式会社 凪スピリッツ」オフィシャルサイト

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「ラーメン大好き小泉さん」/竹書房
「ラーメン大好き小泉さん 1」Amazon
アニメ「ラーメン大好き小泉さん」公式サイト

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 「せたが屋」年賀状/2008年1月
(~2015)


「凪」と同じタイミングで、「せたが屋」からもいただいた年賀状のご依頼。こちらは「凪」よりも長く、8年間も継続させていただきました。


店主・社長の前島さんは、ご自分で「せたが屋」を立ち上げ、グループを築き上げた方。並み居るラーメン店主たちからも「ミスターラーメン」「兄貴」などと呼ばれ、慕われている存在です。そんな前島店主をキャラクター化。2013年のみ異質ですが、あとはすべて前島さんありきのデザインになっています。完全にお任せされる年もあれば、前島さんからキーワードのみいただいて、それを図案化することも。以下、簡単に説明。

2008:紋付袴にタオル。

2009:海外進出を見据えて。

2010:海外進出・展開。

2011:タイに出店。タイのお坊さんイメージ。

2012:震災翌年。日本にラーメンパワーを。

2013:キャラなし、ラーメン筆描き。

2014:全ブランドラーメン。

2015:海外へ漕ぎ出す、前島さん一寸法師。

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特に解説はしませんが、2014年のものだけ拡大しておきます。当時、前島さんが経営されていた9ブランドのラーメンを制作しました(ラーメンを描くのはとても楽しいです)。もちろんどのお店にも伺っていましたが、金沢に出店した「丸生」だけは食べられなかったのが心残り。しかし「丸生」が、その後オープンし現在も続く豚骨ブランド「俺式」へ繋がっているのでしょう。

「せたが屋」グループは現在、吉野家ホールディングスの子会社となっています(2016年~)。とはいえ、出店やブランド展開などは自由で、前島さんに一任されているとのこと。今年2019年3月には「中華そば 福味」を東京KITTEに出店されました。今後も新たな躍進に期待したいですね。


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「せたが屋」オフィシャルサイト


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「ラーメン凪」年賀状/2008年1月(~2012年)


2008年から「凪」の年賀状を作成。


イラストレーションとしては、十二支の動物が年をまたいで繋がっていきます。十二支はつまり〈時代〉を象徴し、「凪」のメンバーがそれに遅れず走っていく、というイメージです。店員のメンバーが増えたり入れ替わったりするので、時代ごとの変化が一目瞭然。

ですから本来は12年、つまり十二支一回りを制作する予定でした。残念ながらこの計画は5年で潰えてしまいました(~2012年)。ただ、このあと「凪」は世界的に急成長を遂げていくので、もし本当に12年続けていたら、社員はとてもハガキの中に描き切れなくなりましたね。わたしとしても、ラーメン関係のお仕事が増えていたので、1枚の年賀状に全員の似顔絵を入れるなんて手間のかかる真似は続けられなかったはずです。


今になって振り返ると、全体に「十二支が繋がっていく」という共通点があるとしても、年ごとに趣の違う構成にすればよかったと思います。それこそ、「凪」の変化・成長を現すような。なお、イラスト部以外には、店舗案内やお年玉としてクーポンが入っていました。


これは余談ですが、画像から漫画「ドラゴンボール」を連想された方がいるかもしれません。単行本の背表紙が、一枚絵として繋がっていましたね。一旦、7巻で切れるようにはなっていますが、少なくとも連載開始時からそれくらいの長期連載が約束されていたということ。これは当時、他作品に見られなかったことで、1巻の背表紙を見たわたしはとても驚きました。超人気作家の作品でも、2~3巻で終わった連載はいくらでもあったのです。ただ少年ジャンプ史上最大級の人気作「ドラゴンボール」とはいえ、16巻、24巻、32巻と、そこで切ってもおかしくないような絵になっているので、(個人的には)鳥山明先生と編集部とでの葛藤を想像させられました(全200巻を達成した「こち亀」は41~46巻が一枚絵)。


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「株式会社 凪スピリッツ」オフィシャルサイト


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