Atelierラ部

ラーメン業界での、デザイン、イラストレーションなどに関するブログです。

2019年09月

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「特級中華そば 凪」ロゴタイプ、看板、暖簾デザイン/2009年10月


すでに終了したブランドですが、「凪」が大きく舵を切ったのが、この「特級中華そば」だと個人的に思っています。実に丁寧な作業の積み重ねで、インパクトよりも料理性の高い一杯を作られていました。当初はドンブリに蓋を乗せて提供したり、店舗に関するデザインをすべて新調するなど、新しい試みをしていました。


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【ロゴ】

その意志・意識は、ロゴデザインにも現れています。ブランドを変えるにあたり、ずっと使っていた基本形を見直すことにしたのです。生田店主のリクエストは「グループを大きくする目標のため、この店舗から『強さ』をプラスしたい」ということ。しかしいたずらにイメージを変えてしまっては基本理念がブレるので、コンセプト自体は以前のものを堅持しつつ調整しました。まず線を可能な限り太くして、力強さをアップ。そして「凪」の文字から思い切って曲線を排除。曲線は「風」を意味していたわけですが、しなやかであると同時に優しくもある。直線のみで構成することで、堂々とした強い意志・潔い姿勢を表現したのです。


そしてこのデザイン(フォルム)がその後、基本のマークとして使われていくことになります。色も同じキンアカですが、この店舗に関しては赤から脱却しました。「豚骨から煮干ラーメンに変わった」ということを視覚的に示したかったのです。バックの濃いブルーは海、ロゴのシルバーは波飛沫や煮干(鰯:イワシ)の銀鱗をイメージさせています。


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【看板】

合わせて、看板もデザイン。こちらは「少し老舗感を出したい」というご要望。アイデアのベースに採用したのは、歴史ある醤油蔵や酒蔵のロゴの雰囲気です。まず醤油蔵が多く用いる亀甲を採用。亀甲文は「有職文様(ゆうそくもんよう)」のひとつで、浮線綾、菱文、小葵などとともに、平安時代から公家階級の装束や調度品に使われてきた、日本の伝統的な文様です。

その六角形の中に、煮干の「煮」の字を配した意匠を制作しました。ただし、そのまま渋く・格好良く仕上げたのでは「ラーメン」として面白くない。なにより「凪」らしくありません。


そこでわたしは煮干のシルエットで「煮」の文字を書くことを思いつきました。鰯の煮干そのものをスキャンしてトレース。その組み合わせで制作したのです。下の「よつてん」は煮干の頭です。こんな冗談のようなものでも案外気付かれず、誰からも指摘されませんでしたが、気付いた人はきっと嬉しかったのではないでしょうか。


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【暖簾】

同時に暖簾も手掛けました。煮干という文字の配列をドット絵のように見立て、波打つ海を表現したものです。「煮」は「日」の部分を塗り潰して、文字というより〝記号〟に見えるようにしています。

実はこの中にも遊びを仕込みました。煮干の「干」を1文字だけ「王」にしたのです。もちろん「煮干ラーメンの王に」という気持ちからですが、まさか「凪」がその後「煮干王」というブランドを立ち上げるとは予想外でした。店としては「豚王」ができて、そこから「王」つながりでネーミングされたのですから、これは生田さんさえ意図していなかったことでしょう。とても面白い符合でした(この模様は現在、歌舞伎町の店舗(ゴールデン街店別館)の椅子に流用されています)。


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この「特級中華そば」は冒頭に書いたように、仕込みに手間がかかります。その後、社員数の増えた「凪」グループを動かしていくためには個店にばかり偏った力を注ぐわけにはいかなくなりました。やがて現在の「豚王(主に海外展開)」と「すごい煮干」という2ブランドに統合されていくわけですが、「特級中華そば」は味的にも展開的にも、そしてデザイン・ビジュアル面としても、色んな意味で重要なステップであったと思います。


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「株式会社 凪スピリッツ」オフィシャルサイト


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「ラーメン凪 新宿ゴールデン街店」ロゴタイプ(看板)/2008年6月


現在は、都内に数店を展開する「すごい煮干ラーメン 凪」の、新宿ゴールデン街店(本館)として営業されていますが、正式店名は長い間、当初の「新宿煮干ラーメン 凪」から、「煮干ラーメン 凪 ゴールデン街店」「ラーメン凪 煮干王」など、まったく定まりませんでした。


ともあれ、かつて週に1~2回、BAR「ブレンバスタ」の間借り営業としてスタートした「凪」が、同店舗に戻り、正式に凱旋出店を果たした形です。


この店舗のロゴタイプを制作するにあたり、生田店主から「博多の版画作品」を渡され、参考にして欲しいと要望がありました。その作品のテイストからわたしが抽出した要素といえば「白・黒・赤・紺などのハッキリした色使い、手で彫った味わい、武骨な男らしいイメージ」など。まずはそれらの要素を用いて制作を試みました。しかし何度提出しても、生田さんからはOKが出ません。そこでわたしは「博多の版画」という注文のイメージから離れて考えることに。


こうしたことは、ままあることです。ご依頼主というのは、必ずしも具体的な完成形を頭に描いているわけではありません。説明されたイメージで制作しても食い違うことがあるのです。それを読み取ったり、新たな提案をするのもデザインの仕事。こういう場合、受身のデザイナーではなく、アートディレクター的に誘導をしないと迷路に陥ります。


渋谷店や立川店(閉店)の豚骨ラーメンとは違う、「凪」として初めての煮干味。基本のロゴを用いつつも、違う雰囲気を出さなくてはいけない。そして最終的にこのシンプルなデザインに落ち着きました。当初の〝版画〟イメージは皆無ですが、こうして紆余曲折を経ないと出来上がらないものもありますし、そういうタイプのお客様もいます。決定までに制作したバリエーションは40パターン以上。


最終的な選択は生田さんに委ねましたが、周囲が黒であることだけは強く勧めました。大切なのは、お店のあるゴールデン街が完全に「夜の街」であること。昔から作家や演劇人などが集う、大人の隠れ家・秘密基地。ゆえに若干のアングラ感、いかがわしさを漂わせていなくてはならない…と思ったからです。また、小さな店舗が櫛比したゴールデン街という特殊な場所で、目立ち過ぎるのも周囲との調和が乱れると感じたからでした。周囲のバーなどと区別するため、「ラーメン」の文字は小さくしながらも、最もコントラストをつけて際立たせています。


凪ロゴの特徴のひとつである「右払い」も、夜の闇である黒い背景で見えなくなっているのがおわかりいただるかと思います。それこそが「ゴールデン街の闇に溶け込んで欲しい」というわたしの狙いであり、願いでもあったのです。


開店して数年は、朝まで長居していてもお客様が来ない、ということも珍しくなく、わたしが近隣のBARへ出前に行ったこともあります(笑)。それが次第に口コミで徐々に人気を獲得。ゴールデン街で初の行列を作ります。数年後には驚きの24時間営業をスタートさせ、夜だけのお店ではなくなりましたが、どんな時間帯でも行列が絶えません。「黒地の中の赤い丸」は「夜と太陽」を表すかのようで、結果的に24時間営業スタイルにもマッチしたと思っています。


ゴールデン街がロケ地として使われたドラマ「深夜食堂」の映像にもチラリと映っていました。大好きなドラマでしたから、とても嬉しかったですね。

今では、ゴールデン街のどのお店に伺っても、各店主さんたちは皆さん「凪」を知っていますし、「あのロゴ、印象的でいいね!」と言ってくださいます。たいへん嬉しく、またありがたいことです。


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「西尾中華そば」ロゴタイプ、シンボルマーク/2009年5月(現在閉店)


「凪(ラーメン 凪)」の西尾さんが、渋谷の店舗を使った日曜限定ブランドとして始められ、その後独立した支店として構えたお店です(2012年にグループ再編のため別ブランドでリニューアル)。「凪」に入る以前から有名店で腕を揮っていた西尾さんは、料理そのものにも造詣が深い。そんな西尾さんが提供する「中華そば」は、いかにも彼らしく手の込んだ、ハイブリッドな一杯でしたが、仕上がりはとても懐かしい雰囲気を漂わせていました。


このロゴタイプ、「西尾中華そば」の文字を書いたのは当時「凪」で働いていた女性店員さんで、それをわたしがトレースし、クリーニング。ただ、それだけではわたしが手掛ける意味がありません。この文字はとても味わいがあるけれど華がない。それだけで目を引くような個性に欠けるのです。


西尾さんと話し合って、この文字と対になるマークを追加することにしました。図案としては、スープに使用されている「鶏」と「魚介」、麺に使用されている粉:マサの原料「トウモロコシ」、その3つの素材をイラストレーションによって表現したのです。ラーメンの手作り感(=マークの手描き感)を強く出すために、筆ペンを用い、わざと小さく描いて(2cmほど)スキャンし、トレース・データ化しました。


「凪」の赤はいわゆるキンアカ(C:0、M:100、Y:100、K:0)ですが、こちらは“中華そば”の名前に相応しく、クラシックな落ち着きを感じさせるため黒を加えています(K:30)。そのほうが、このラーメンのイメージが整います。


同時にドンブリ柄のデザインも依頼されましたが、マークはドンブリの底にレイアウトしました。「ラーメンを〝根底〟で支えているのは、食材の生命である」という意味です。ラーメンを食べ終えたときにそれを感じて欲しい。命云々とまでは思わずとも、食べものとなった食材へのありがたみを少しでも感じてくれたら…。「凪」の研修旅行に同行した際、豚の屠殺を見学することができたのですが、そのときの強烈な体験によって、このレイアウトを発想したのです。

当時、西尾さんは「それを聞いたら、(丼を)簡単に割ったりできませんね」と言われました。デザインとはそんな風に、気持ちにも機能すべきものです。


色調にしても手描きを活かす手法にしても、この立地が大きく影響しています。駒込の「しもふり商店街」という、地元民に愛される下町情緒のある場所では、あまり奇抜な装いにすると、一時の目は引いても、長いこと愛していただくには不向き。ケバケバしいチェーン店のような彩りは避けるべきだと考えました。もちろんラーメン自体もそこに配慮し、過剰なインパクトを求めず設計されているわけですから、デザインもそのイメージを崩さず、歩調を揃えたわけです。


実はこのマーク、ひとつ遊びが入っていました。鶏と魚の尾を左側に向けたのです。方位のように上側を北とした場合、左側は西ですね。西向きの尾、つまり店主の姓〝西尾〟という意味だったのです。気付く人はほとんどいなかったと思いますが、こうした遊びはすぐに見抜かれては意味がありません。偶然気付いたり、口コミで知って、楽しんでいただくものです(キリンビールの麒麟に隠れた〝キ〟〝リ〟〝ン〟もそうですね)。


「西尾中華そば」は、現在もお正月に1日だけ「凪」グループ店舗での限定イベント営業で復活しています。毎年これを楽しみにしているという方も。


店長・西尾さんの人柄もあり、地元の方々が数多く常連さんとなり愛された店舗ですが、「凪」グループの拡大・再編に伴い業態変更となりました。現在は西尾さんの孫弟子といってもいい窪川さんが「麺屋 KABOちゃん」として引き継がれ、自慢のかき氷とともに好評を博しています。ちなみにそちらのカラフルで可愛らしいロゴは、江島史織さんによるもの。江島さんは書家・書道家ではなく「字書き」と名乗って様々な媒体で活躍されている方です。ラーメン店でも「麺屋 はやぶさ(立川)」「らぁ麺 やまぐち(高田馬場)」「らぁめんや やしげる(経堂)」などで、毛筆によるロゴを手がけておられます。文字そのものが力を発揮する、見事なロゴタイプです。


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「ラーメン 凪 立川店」ロゴタイプ/2008年4月


「凪」は、渋谷店をオープンするよりも前に、ラーメン集合施設「立川ラーメンスクエア」で行われた「第1回ラーメントライアウト(2005年)」で優勝しました。賞金とともに特典として、この施設への出店が認められていたのです。優勝は2軒あり、「凪」は「秋出店部門」での優勝だったので、オープンは2006年の10月。渋谷店のスタートよりも後になりました。


はじめのデザインは基本的に渋谷店と変わらないので、2008年4月「博多ラーメン 凪 レボリューション」へリニューアルしたときのことを書きます。それまでも細かいマイナーチェンジはされており「迷走」と呼ぶ人もいましたが、むしろ当時の「凪」らしいお家芸。このときが大幅リニューアルでした。


その「博多ラーメン 凪 レボリューション」、店名通り「博多豚骨」を全面に押し出したスタイル。一般の方はラーメンについて造詣が浅く、豚骨ラーメンとか濃度とかいってもピンときません。特にここは流動客の多い集合施設ですから、一部のラーメンマニアだけが喜んでも売上に繋がらない。そこで打開策として「博多」と銘打ち、食べやすいタイプの豚骨ラーメンも提供していくことに。百貨店の催事などに顕著ですが、ときに「地名」というのは内容以上に惹きがあるのです。


ご当地らしいあっさりめの「博多豚骨」、これまでのスタンダード「凪豚」、そして渋谷店で好評を博した超濃厚豚骨「メガ豚」というメニュー(この「メガ豚」はわたしのネーミングです)。


さて、基本となるロゴデザインについて、店主の生田さんから見せられたのは「アメリカの道路の番号標識」。わたしは頭を抱えました。「博多」で「レボリューション」で「アメリカン」。このとっ散らかった素材をどう料理すべきか…。

生田さんの指示は、要するに赤と青のカラーリング。わたしはその青を「波」のイメージにしました。少々強引でしたが、港町博多のイメージに持ち込んだのです。そして丸は海から昇る「太陽」に見立て、背景として照らしている形。「夜明け」を「レボリューション(革命)」と重ねました。そうしたコンセプトで元のロゴをアレンジ。


ロゴそのものには、そうした意味付けなど必要ないと思われるでしょうが、看板、暖簾、ユニフォーム用の手拭いなどを総合的にデザインするには不可欠。でないと、素材を並べただけのまとまりのないデザインになってしまいます。


「ラーメン」の文字は、既存の渋谷店用に作ったロゴの流用ですが、それに合わせた「博多」を制作。「ラーメン」がバリエーション制作を念頭においたものではなかったので、当時は苦戦し、何度も作り直しました。


施設との契約は当初1年間だったはずですが、2010年の9/26まで4年間営業されていました。ブランドスタイルも変えまくって、最後の半年ほどは「つけめん 凪」でした。目まぐるしく対応した戦いも、きっと現在の血肉となっているのでしょう。


この店舗では、ユニフォームやPOP類もたくさん制作しました。それらもいつかご紹介できたらと思います。


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「ラーメン 凪」ロゴタイプ/2006年6月

かつて、新宿ゴールデン街にあるBARで、週1~2回の間借り営業をしていた「凪」。常に新しいラーメンを手作りしていて、わたしも毎回、楽しみに足を運んでいたものです。その「凪」が2006年、遂に渋谷に店舗を構えることになった。店主の生田さん・夏山さん、そして人気店の店員ながら客の立場から加わった西尾さんと親しくなっていたわたしは、お祝いとして自分がしてあげられることは何だろうと思案していました。そこで、お店にとってなくてはならないシンボル、「ロゴタイプ(ロゴマーク)」をプレゼントしよう、と考えたのです。


わたしが飲食店のロゴデザインを手掛けたことは、それまでに数回だけ。経験不足です。そこでまず、代表である生田さんという人物について考えることから始めました。彼は、同じ福岡出身の「博多一風堂」の創業者・河原成美さんを意識・尊敬し、目標のように思っていました。そこで書店に行き、河原さんの著書を何冊か購入。すると思いがけずロゴの成り立ちについて知ることができたのです。


「博多一風堂」は、ご存知の通り豚骨ラーメンの有名店です。清潔感のある店内と明るい接客で、女性でもひとりで入れるラーメン店を作った草分け。河原さんは、今までにないお店を作りにあたり、綺麗な店構えや接客のコンセプトも整えた。美味しいラーメンも作った。人材も集めた。福岡のラーメン界に一陣の風を…という意味で「一風堂」と名付けた。すべてが揃ったように思えたが、どうしても用意できないものがひとつだけあった。それが「歴史」。老舗が持つ長い歴史は、お客様の安心感や信頼感につながるもの。それを補いたくて、ロゴは古めかしい字体にし、看板も木を使ってどこか歴史を感じさせるものにした……といったような内容でした。


ゼロからでは決して得られない「歴史」を、ロゴタイプによって先取りする。河原さんは青年時代に漫画家を志していたり、高校ではデザイン科に在籍していたので、飲食店のセオリーに拠らず、独自の考えでお店を立ち上げたわけですが、そこまで思い及ぶ慧眼には恐れ入るばかりです。そして「博多一風堂」は今や30周年を越え、それだけの歴史を持つ1大チェーン店へと成長を遂げました。


わたしはそれを読んで「河原さんの考えは素晴らしいが、絶対にその真似だけは生田さんがやってはならないし、やってもらいたくない」と感じたのです。「凪」という店名も「一〝風〟堂」からの発想だと思ったから。河原さんを尊敬し、目標にするのはいいですが、そのやり方をなぞるようでは所詮パクリ。追随者の謗りを免れないし、追い越すことなどできません。だからわたしは逆の発想で「歴史を一切感じさせないデザイン」をコンセプトの柱として立てました。それこそが、若くてやる気に満ち溢れた、挑戦者たる彼らに相応しいと思ったのです。


ロゴタイプは基本的に「お客様」に向けて作られるもの。確かにどんなイメージで自分の店を見ていただくか、ということが基本機能です。しかしここが一般の方の誤解しやすいところ。そのロゴを最も長い時間見ることになるのは、お客様ではなくそれを使う側……店主や従業員なのです。わたしは彼らにも何か影響を及ぼすメッセージを込めたデザインが必要だと考えました。つまり、ロゴマークの「歴史を感じさせないデザイン」によって、「これからどれだけ繁盛しようとも、自分たちが常に新人のつもりで勉強し、初心を忘れず、若々しいアイデア、行動力に溢れたチームでいようと意識し続けられる」…そんなお店であって欲しいという願いを込めたのです。


そこまでコンセプトがまとまってから、実際に手を動かしての制作に入ります。「歴史を感じさせない」のですから、なるべくスッキリと、シンプルに見せたい。文字(ロゴタイプ)というよりも記号(ロゴマーク)として視覚的に訴えるものがいい。そこで単純でしたが「◯」を採用(その意味は後述します)。色は若々しい情熱を表す赤。


「凪」の文字は、直線と曲線を組み合わせました。「几」には「風」のイメージを持たせてしなやかに。「止」は、下の横線を右斜め上に跳ね上げました。本来はしっかりと水平に止めなくてはいけない部分ですが、そのままでは「凪:風がやんで波がなくなり、海面が静まること」の意味そのままでしかない。

生田さんは「風のないところに風を起こす」という思いを込めて「凪」と名付けた。ならば文字の意味・形ともに「止」では、相応しくないと考えたのです。この右上がりの跳ね上げによって漢字の印象を打ち消し、躍動感を与えました。


このロゴタイプにおいての「◯」にはいくつかの意味がありますが、ひとつは上から見たドンブリです。真ん中はただの余白ではなく、(凪が渋谷店で最初に提供した)豚骨スープ。だから塗り潰されてはいない“白”なのです。ドンブリの中のラーメンで、お客様に「凪」の作った美味しさをご提示する。

そして凪という文字の周りを円が囲むことによって、凪の周りにお客様の「輪」が出来るように、店とお客様の「円:縁」を結び、「輪:和」を保てるように、という意味。


「凪」の文字には、尖らせた部分が3つあり、その扱いがそれぞれ違います。右側は◯に届いていないもの、左上は◯に接しているもの、そして左払いが◯からはみ出してる。これはバランスを考えて変えたのですが、今では「組織に守られる未熟な新人」「運営を支える中堅」「そして外へ目を向け未来を作る幹部」という現在の「凪」を示すような気がしています。


とくに、円からはみ出している「凪」の左払いは最も大事な要素です。これは「凪」という店が、ラーメンという既存の枠、常識、世界観から、常に少しだけはみ出すような店であって欲しい…というわたしの勝手な思いでした。挑戦を怖れず、時には突き破り、常に冒険心・チャレンジスピリットを持っていて欲しいというエネルギー、希望の象徴です。


バーの間借り営業からスタートした凪は、2006年に店舗を構えて創業。常識破りの快進撃をスタートさせます。

ラーメンスクエア・トライアウト第一回優勝。いち早くブログなどネットを活用した販促活動。365日の日替わりラーメン。他店や異業種との様々なコラボレーション。凱旋出店したゴールデン街に初めて行列を作る。香港店での大成功。ゴールデン街店での24時間営業スタート。インドネシア・台湾・フィリピンへの連続出店、そしてアメリカ進出…と、話題に事欠きません。常に型破りでエネルギッシュ。また新潟中越地震や東日本大震災時での炊き出しは本当に早かった。とくに東日本大震災では現地(宮城県歌津)に常駐し、コンビニの駐車場に設置した倉庫に寝泊まりして、各避難所に食糧を届けていたのです。その後もトレーラーハウスで店舗まで構えて復興支援活動をしていました。


ロゴは数年後にマイナーチェンジをしますが、基本コンセプトは変わりません。

「凪」は、わたしがロゴタイプに込めた思いを、そのまま体現されています。作り手としてもこんなに嬉しいことはありません。少なからず影響を及ぼしあった相乗効果だと感じています。
 

わたしのラーメン店ロゴタイプの処女作はこうして生まれたのでした。


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